京漬物「すぐき漬」の伝統と文化を守り継ぐ
-上賀茂のすぐき農家・戸田秀司さん-
2021年秋、環境共生フィールド演習の参加者9名で、上賀茂のすぐき農家・戸田秀司さん(76)をお訪ねしました。すぐき漬は、千枚漬・しば漬とならんで“京の三大漬物”の一つに数えられています。戸田さんのお宅の作業場で、すぐきの漬け込み作業を見学させていただき、忙しい作業の合間をぬってすぐきのことや京都市の農業のお話を聞かせてもらいました。
【すぐきの歴史】
―すぐきが上賀茂で作られるようになった歴史を教えてください。
戸田:300~400年前が発祥とされていますが、農家の発祥ではありません。上賀茂は上賀茂神社の社家町が中心で、神職である社家(しゃけ)がこのあたりの畑を全部所有していました。ですが、社家の方々は神社で従事していているので、畑は農家に任せていました。農家が社家の畑を耕したり、社家の屋敷で耕したりしていたようです。
当時、賀茂川の河原にすぐき菜という小さい蕪が自生していました。食糧難に備えて保存食として栽培したらどうかということになって、他の野菜と一緒に塩漬けして保存するようになったらしいです。その時に、すぐきを漬けたことを忘れていたのか、秋に漬けたものが5、6月まで残っていたそうです。その残っていたすぐきのお漬物がとてもいい匂いがして、食べたらとてもおいしいということが分かったので、それを改良してすぐきも自生から栽培になっていきました。すぐきは蕪も葉っぱも食べることができるので、重宝され、整腸作用もあって女性に重宝されたそうです。
最初、すぐきの漬物は社家が漬けるもので、皇室に使える社家のお土産、季節の贈り物として持っていったりするものでした。農家は手伝いに行っていただけで、漬物は役人などの上流階級が食べるものでした。
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すぐき漬の原料となるすぐき菜
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蕪は手のひらよりも一回り大きい
―それを今のように農家が生産するようになったのはいつ頃からなんですか?
戸田:明治になってからです。首都が東京になり、役人なども皆東京に行ったことで、社家の人達が漬物を贈る相手がいなくなりました。そこで、上賀茂の農家が社家から門外不出の種を分けてもらって、栽培し始めました。最初は4軒の農家だけだったと言われています。うちも、その中の一軒でした。
最初はその4軒ですぐきを作っていましたが、祇園のお茶屋や西陣の方に売りに行ったら、これまでにない味だと好評だったそうです。すぐきは、一般庶民はそれまで食べたことがないものでしたから。当時の農家は自給自足の生活でしたが、すぐきによって現金収入がえられるということで徐々に上賀茂全体に広がっていき、太平洋戦争の戦前から戦中で最高120~130軒ぐらいのすぐき農家がありました。

皮をむかれたすぐき菜。葉の部分も使う。
―戦後はどうなりましたか?
戸田:すぐきは自然の力を利用して作りこむもので、簡単なようで塩加減や天秤の重さなどの微妙な違いによって漬る人の性質が出るものなんです。一定の質を保っていたすぐきも、戦後生産が拡大するなかで質にバラツキが出るようになりました。特にバブル期には全国に売り先が広がり生産量が増えた半面で“粗製濫造”になってしまいました。味よりも見た目だけで売れるために、結果としてすぐきの質が落ちたのです。
バブルがはじけたことですぐきがが売れなくなって、すぐき農家をやめる人が出てきたことから、品質を立て直すために上賀茂の生産農家で「すぐきの会」を作りました。各農家のすぐきを農家同士で食べ比べして、評判が良い農家3軒ほどに漬け込み現場を見学に行くということを8年ほど続け、なんとか味の統一を図りました。その後も徐々にすぐき生産農家は減少して、今は上賀茂のすぐき農家は50軒ほどになっています。
【すぐき漬の作り方】
―すぐき漬の作り方を教えてください。
戸田:まず、面取りをします。収穫したすぐき菜のかぶらの皮を包丁で剥ぎ取る作業です。次に荒漬けです。丁寧に皮を剥いて真っ白になったすぐき菜を、塩水を張った直径2メートルもの巨大な樽でたっぷり塩をふって重石をかけて一晩漬け込みます。これで塩の浸透をよくすることで本漬けの準備が整います。

すぐきの皮むき作業。奥に見えるのは荒漬けのための大樽。
次に行うのが本漬けです。樽に荒漬けの終わったすぐきを重ねて入れ、塩を振る。昔は「天秤押し」といって、樽に5mほどの長い天秤棒をつけその先端に重しをつり下げて梃子の原理を利用して押していましたが、重しの上げ下げに非常に労力がかかったため、現在では120kgほどの重りがついた道具を使います。塩の浸透圧により水が出ていき、半分くらいの量まで減ります。4回に分けてすぐきを上から足していきます。
本漬けが終わった後、約40度の室(むろ)に入れ乳酸発酵させます。樽に重しを置き、室の中で一週間ほど熟成させます。これによってほのかな甘味と酸味を持ち合わせた、さっぱりしたすぐき漬の味が生まれます。室から出して自然に冷やせばすぐき漬の完成です。昔は加温する方法がなく、常温で発酵させていたため発酵が終わるまで長期間かかり、秋に漬け込んでから翌年の5月くらいまでかかっていました。現在では、1週間ほどで発酵・熟成するので年内出荷ができます。
この発酵には、雑菌を殺すという大切な作用があります。大学の先生が調べたところでは、室に入れる前には350種類もの雑菌がいたそうですが、室に入れて4日目にはごっそり減って、八日目になると一種類の乳酸菌のみが生き残っていたそうです。室に入れると色も変わり、乳酸菌の影響で酸味が増えます。上賀茂でできたすぐき菜で漬けたすぐき漬は外側がシャリっとしており、内側は少しピンク色がかったまろやかで濃い味になります。
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本漬け作業。昔は天秤棒の先に石の重りをつけ、梃子の原理で力をかけていたが、現在では上から圧力をかける形に。
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本漬けの樽がずらりと並ぶ。
―すぐき漬の味には何が影響しますか?
戸田:漬け込みに使うのは塩だけで、味付けなどはしません。それでも、人によって塩を振る手の大きさが違うし、はっきりとした塩の分量の決まりもないため、家によってすぐき漬けの味が違います。同じ家でも、代が変わると味も変わるかもしれません。例えばうちの場合、私は粗く塩を振りますが、息子は繊細な塩のふり方をするので、味が違います。
もちろん、すぐき菜のかぶらの質も味に関係しますよ。かぶらが悪いと、味の深みがなくなり、淡泊な味になる。良質な土で育てることが良質なかぶらを作り、良質なすぐき漬けにつながります。
また、かぶらの皮のむき方も影響があります。皮が少し残っていると、甘みの残った美味しいすぐき漬ができる。皮のむき加減が重要で、剥きを習得するのに2~3年かかるほど熟練が必要な作業です。

戸田秀司さん(左)と息子の尚樹さん(右)親子。
【作物としてのすぐき菜】
―作物としてのすぐき菜は、どこで、どうやって作っているのですか?
戸田:すぐき菜は、9月に種を播き、55日で収穫します。昼間の温度が30度以下、夜の温度が25度以下になったときが播き時です。地域によって気温が違いますから、播き時も異なります。私の家には大原にも畑がありますが、上賀茂よりも1週間ほど早く播けます。収穫は一月ほど早いです。現在は、すぐき菜の95%が大原と岩倉で栽培されていて、上賀茂で栽培されているのは5%ほどになっています。
ただ、上賀茂で栽培したすぐき菜は、薄皮が少し固めで中が羊羹みたいに柔らかくてピンク色をしておりすぐき漬にするには理想的です。そういう良いすぐき菜は上賀茂でしか栽培できないのです。よそのすぐき菜は全体が固くて同じ味になります。また、漬けるときに塩がめぐるのが遅くて、漬物の味も落ちます。
―でも、どうして大原などですぐき菜を作るようになったのですか?
戸田:根瘤(ねこぶ)病というすぐき菜の病気が昭和40年から50年ごろにはやり、上賀茂のすぐきは大打撃を受けました。上賀茂の農家はその後、岩倉や大原に畑を求めていきました。すぐきは本来連作ができるんですが、すぐき以外の作物もいろいろ作っていた時代には、こういう病気はでなかったんですがね。
―すぐき漬の話に戻るのですが、他の多くの漬け物類が企業の工場で製造されているのに、すぐき漬は農家が漬け込んでいるのはなぜなんですか?工場で大量生産はできないのですか?
戸田:業者が工場生産ですぐきを漬けていたことが一時期ありました。しかし、手間ひまがかかりすぎ人件費がすごくかかるんですよ。今は、すぐきの時期は朝7時から夜10時まで働かないといけないんですけど、昔はもっと長く働かないといけなかったんです。採算が合わないため企業はすぐき漬生産を止めてしまったと聞きます。
また、企業は能率を上げるため大きい樽で漬けようとしますが、そうすると圧力が均一にならず、塩の巡りが変わってくるんです。結局味にむらが出てしまう。それに比べて、農家は自家労働だから手間暇かけて生産できるんですね。
【すぐき漬の美味しい食べ方】
―すぐき漬の美味しい食べ方を教えてください。
戸田:基本の食べ方は、水でさっと洗い、葉茎とかぶらを切り離します。かぶらは縦半分に切り、それを山形に3ミリ程度の厚さに切って、葉茎はみじん切りにして添えます。お好みで醤油を振りかけて食べます。
奥様:醤油と一緒におじゃこをかけても美味しいですよ。
戸田:昨年漬けて売れ残った1年物のすぐき漬が冷蔵庫に残っていますので、食べてみますか?なかなか美味しいでしょ。ひねのすぐき漬の美味しさが分かるようになれば、“通”だと言われています。
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1年物のすぐき漬を食べさせて頂きました。
―すぐき漬を利用したアイディア料理があったら教えてください。
戸田:刻みすぐきで作るチャーハンとか、すぐきのお寿司などがいいですよ。
―野菜としてすぐきを食べることはできないのですか?
戸田:基本的には野菜としては食べません。それは、すぐきの蕪は繊維が太くて、生だと苦みがあるからです。もっとも、すぐき漬以外の漬物、例えばあちゃら漬け(*)にすることはできます。
*昆布と赤唐辛子を添加して甘酢に漬け込んだ酢の物。
―すぐき漬には栄養面でのメリットもあるのですか?
戸田:すぐき漬は、乳酸菌の一種であるラブレ菌による乳酸発酵食品です。ラブレ菌は強い生命力をもっていて過酷な環境でも育つため、生きて腸までたどり着くとされています。このため、整腸作用があると言われています。また、免疫力を強化するともされています。
【すぐき漬の販路とコロナの影響】
―すぐき漬を買うのはどういう人達ですか?
戸田:京都市内の固定客が多いです。これは、お歳暮用の贈り物としての購入が中心です。しかし、固定客の方はだんだん年齢層が上がって、絶対数は少なくなってきているいると思います。それから、お土産品として購入される部分も全体の約5割と多いです。残りの分は、スーパーなどの小売で、家庭用です。農家が漬物メーカーに卸したものを、メーカーが刻みにしたり調味したりして袋詰めして販売されています。京都市内での消費量は最盛期の半分程度になっていると思います。
―お土産品のシェアが高いとすると、コロナの影響がかなり出ていますか?
戸田:そうですね。今年はお土産用の出荷がほぼゼロになり、倉庫に入っている状態です。なので、コロナによるダメージはとても大きいです。すぐきの減収を埋めるべく、あそこに積んであるのが見えると思いますが、トマトの栽培を増やしています。
―海外展開などは考えられないですか?
戸田:すぐき好きの人が海外に紹介しているのは聞いたことがあります。私達も実際にコロナ前に現地のブローカーに交渉して、チーズの代わりの食材としてサンドイッチなどに挟めないかって検討したこともありました。でも、コロナでそれもお流れの状態ですね。
【都市の中の農業】
―都市の真ん中で農業を行っていくことのメリットや魅力があったら教えてください。
戸田:都市で農業をやることの魅力は消費者が身近にいることですね。今は冷蔵など保存・輸送技術が発達して、遠方から多くの農産物が都市に集まっていますが、やはり遠くから来たものはそれだけ時間が経っているし、消費者の身近に農業があるということは本当に新鮮な野菜が食べられるということなので、体にも良いはずです。その意味で、「地産地消」が一番大切だと思います。われわれ農家も、高品質な野菜を作り、直接好きなように消費者に選んでもらうことが“都市農業の使命”だと思っています。
それと、農業の役割は食べ物を生産するということだけではありません。農村行事や祭礼、漬物に代表されるような発酵食品は“文化”だと思っています。農業を外して京都の文化は語れないと思います。その文化をきっちり残していかなければならないし、また発展させていかなければならないと思っています。
―逆に難しさもあるのでしょうか?
戸田:商品化することについては、昔は出来たものをそのまま右から左に流すだけでした。
しかし今はそうでなく、しっかりと包装してそれなりの商品化をやっていかなければならない。そして、それには経費が掛かるという感じで大変なことは大変だが、うちの息子らは、これからは企業的センスで農業をやっていかなければならないし、次の代にまで魅力のある職業として農業を伝えていなかければならないと思います。
ただし、都市で農業を維持していくのに一番大きなネックになっているのは相続税です。土地の値段が高くなると、大きな面積を所有している農業では相当の相続税を払わないと農業を継続できなくなります。今は生産緑地という制度があって農業を継続する場合には農地は農地並課税になりますが、農産加工するためには宅地や作業場所も必要ですので、生産性の低い農業を都市の中で維持するというのは相当な資金がかかります。
私は、京都市農協の組合長をしていますが、京都市内の組合員さんは3千人ほどいますけれど、そのうち40歳以下の後継者は百人をきっていますので、やはり京都市内の都市農業は危機的な状況です。
―都市農家として、都市住民への理解促進についてどう考えておられますか?
戸田:農協とも協力して、いろんなイベントや交流会を開催し、農業の楽しみというか、農業のよいところを消費者・地域住民の方に理解してもらう活動を続けています。今はコロナで中断していますが、農協の支所の前で朝市を行ったりしています。このあたりは土地の値段が高いので大規模にはできませんが、また復活させたいですね。
農業って昔は3Kで汚い・きついっていう悪い風評がありましたが、農業は人間が生きていくのになくてはならない産業だということをわかってほしい。そのために、市民農園などで農業のしんどさと同時に収穫の喜びを味わってもらいたい。最近では、農家の方が先生になって市民に野菜の栽培方法を教えてあげて、収穫の喜びを体験してもらう「農業体験農園」もできています。農家と市民の皆さんの相互理解を深めることが大事だと思っています。
―お忙しいところ、どうもありがとうございました。


取材日:2021年11月28日
取材者:神戸 萌香・佐々木 莉央・鈴木 綾香・平尾 明日香・藤田 奈々子・藤本 明日海・前田 瑳月・村山 奈優・若城 和沙(京都府立大学1回生・環境共生フィールド演習参加者)